
武田グループの歴史 〜歴史のはじまり〜

武田山長敬寺 武田本店正面(現本社正面玄関)
◆ テンヨ武田の先祖は、信玄公の父、信虎で知られる甲斐源氏
戦国時代、駿河今川家の客分として暮らしていた武田信玄の父信虎。
しかし、永禄三年(1560年)に今川義元が織田信長に桶狭間(おけはざま)の戦いに敗れると、
信虎は駿河を追われ、京へ向かいました。
京へ向かう旅の途中、信虎は、息子の信玄に諸国の内情を伝えるべく、京までの街道の拠点に
武田一族を残しました。
その中の特に重要な位置を占めたのが、東海道と北国街道が合流する要衝である、
滋賀県甲賀郡水口町にある武田山長敬寺です。
織田信長の養女の化粧料としてこの地が武田家に渡されてから、
この武田山長敬寺を中心に、五男の信基・八女のお菊などの要人が次々に配されました。
長敬寺は織田から豊臣・徳川と動乱のさなか幾たびの戦火に遭いますが、
天和三年(1683年)に、浄土真宗大谷派の寺として再建され、今日に至っています。
時代を経て幕末、長敬寺の一族、武田伝右衛門は、
「先祖の地で一旗揚げよう」と甲斐の国に戻ります。
しかし時代は維新前夜、すでに武士の時代は終わりを告げようとしており、
彼は実業家への転身を図ります。
その志を、息子の善兵衛が継ぎ、明治5年(1872年)に山梨県でしょうゆ醸造業を興しました。
これが、テンヨ武田のはじまりです。
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